多忙な毎日を送るということ

つい先日、弊社従業員の前職時代の話を聞いた。

その従業員は過去ブライダルプランナーで年間143回という回数をメインで回していた超強者プランナーである。

(業界の方はこの数字の凄さがイメージつくと思う)

 

その時の生活は普段歩いている時間もない。

ご飯を立ち止まって食べる時間もない。

(歩きながらおにぎりを食べていた)

そして家に帰る時間もないので屋上でホースを髪を洗うという生活を送っていたとのこと。(家に帰れるのは週に2回ほど)

 

その人はそんな毎日息をつく間もなく働いていたところから仕事を辞めることになり、急に満たされなくなったようです。

思い出すのはいつも超多忙で走り回っていたその時の時代。

「あの時はしんどかったけど、超多忙に働いていた自分に惚れていたのかもしれない」

と仰られていた。

この話を聞いていろいろと考えた。

 

 

 

 

「追われる毎日を送るということ」

やりたいことがなく、毎日を目的意識を持たずに誰からも必要とされない毎日。

そんな毎日が一番しんどいのかもしれない。

月に1回くらいは何も考えずに休息をとることも必要なのかもしれないが、基本的には日々やらなければならないこと、もしくはやりたいことに追われる毎日が幸せなんだと思う。

 

「今毎日コツコツ頑張っていることの行き着く先はどこですか?」

「金持ち父さん貧乏父さん」という本の私が転職を決意した言葉。

やりたいこと、やらなければならないことに追われることが幸せと書いたが、これに幸福感を感じれるか感じれないかの違いは「日々やっていることの延長線上に自分の理想をイメージできるか」だと思う。

もっというと、なりたいゴールから逆算して日々を生きなければならない。

 

ダライラマを福島の復興で福島へ呼んだ超パワフルな女性がいる。

その人も「物事を成し遂げれる人はゴールに急な梯子を自分でかける。そしてその急な梯子を超スピードで駆け上がる」と表現をしていた。

 

自分の人生をコントロールするためには登りたい山(ゴール)を決めること、そしてそこから逆算でマイルストーンを置き、日々のTODOを超スピードでこなしていくことが重要だと感じている。

 

人はなんのために生きるのか

昔考えたことがある。

人はなぜ生まれてくるのか。

そして皆生まれて最後は骨になってなくなってしまうのに今も語り継がれる人と極論、すぐに忘れ去られてしまう人もいる。

その違いは「世に何を与えたか」だと思う。

アインシュタインも「人生の成功の度合いは何を得たかではなく、何を与えたか」だと言葉を残している。

 

私の人生ビジョンは「後世に語り継がれるような人生を送る」ことである。

坂本龍馬西郷隆盛、その他偉人のようにこの世からいなくなっても生き続けて人の人生に影響を与え続けれるような人生を送りたい。

 

人に話すと笑われるような人生ビジョンではあるが、この人生を実現するためにも人生を逆算し、毎日を超スピードで、そして全力でかけていきたい。

 

 

そんなことを考えた。